「善光寺参り絵解き図」制作の趣旨

■ 趣旨 ■

善光寺の信仰は、善光寺縁起を描いた絵伝を絵解きすることによって全国に広まりました。
このたび長野の絵解きの文化を発展させ、継承するために「善光寺参り絵解き図」を制作します。それを使って新たな絵解きを創造します。
平成27(2015)年には善光寺御開帳と新幹線金沢延伸が予定されています。それを前に、長野独自の伝統文化を全国に発信していきます。


平成25(2013)年2月19日
善光寺参り絵解き図制作プロジェクト

2013/09/29

制作プロジェクトへの想い

かるかや山西光寺 副住職寺庭
 竹澤 環江 


 かるかや山西光寺は、長野駅から善光寺へ向かう最初にあるお寺です。歴史は800年になります。善光寺参拝の折には必ず立ち寄る寺として、また「絵解きの寺」とも呼ばれています。

 寺宝「刈萱道心と石童丸」・「六道地獄絵」・「十王めぐり」の絵解きをご要望に応じて随時行っています。(ホームページをご参照ください

 当山の絵解きの歴史は明治期には参拝者に仏教の教化のための一助として、盛んに行われていたようです。絵解きの需要がなくなる時代の流れとともに、衰退していきました。その衰退していた絵解きを明治大学教授 林雅彦氏にご指導を頂きまして、第59世住職夫人(現寺庭)である義母が35年前に、新たな絵解きとして復興しました。

 私は副住職寺庭で2007年から師とする義母と絵解き・紙芝居活動を行っています。

 このたび善光寺参り絵解き図制作プロジェクトのメンバーに加えていただきました。

 メンバーとともに作り上げていく絵解き図の作成過程を目のあたりにして「絵解き図」に期待が膨らんでいます。学ばせていただく機会を頂きまして、絵解き文化の継承と未来に思いを馳せ、自身の絵解きにも精進したいと思います。



2013/09/26

第9回制作プロジェクト/配置・すやり霞の検討&広報

平成25年9月26日。

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、彼岸あけの今日は、肌寒いような日。
午後1時から、長野郷土史研究会事務所で9回目となる会合を開きました。

原寸大の原画を壁に貼り、絵師の尾頭さんが配置やバランスを説明しました。
尾頭さんが手に持っているのは、「お羽根指し」と言い、先端に鳥の羽根が付いています。
私が絵解きをする時に使う、絵伝を痛めないように、指し示す棒です。



尾頭さんは、前回8月の原画と比較しながら、善光寺境内と門前町のバランスを解説。

また各場面を区切る「すやり霞」についても解説しました。丸型雲と平型雲の使い分けを検討していると説明がありました。

メンバーは説明を聞いて、仕上がりをイメージしながら意見を出し合いました。

続いて前回提案のあった、活動の宣伝用パンフレットについても検討。
形態、紙質、部数などを決めました。
最後に尾頭さんから制作日程の確認。
原寸大原画の仕上がりは、11月中旬以降。
本描きは12月から取りかかると、発表がありました。

また1月26日に行われる長野郷土史研究会の総会には、途中経過を公開します。
そのチラシも作って、広報していくことになりました。

来春の完成に向けて、期待が高まる会合となりました。


記:小林玲子



2013/09/24

絵解き図に描かれる場所 栽松院

 善光寺参り絵解き図制作プロジェクトメンバーの小林竜太郎です。私はこのブログで、絵解き図に描かれる場所の話題を書いていきたいと思います。

 善光寺表参道沿いに栽松院(さいしょういん)というお寺があります。観音堂から始まった寺で、「しまんりょう」の名で親しまれています。長野市民によく知られた「しまんりょ小路」の「しまんりょ」の名前は、このお寺に由来します。栽松院は今回の絵解き図にも描かれる予定です。
 その栽松院の境内にあるのが、嶋の天神です。その天神さんの前には、昭和4年につくられた、こんな石の標柱が立っています。

 

「善光寺 嶋の天神」

 ここは善光寺境内でないにもかかわらず、「善光寺」と書かれています。昔は、善光寺の周囲の町、いわゆる「善光寺町」のことも善光寺と称していたからでしょう。
 
 
 善光寺参り絵解き図には、善光寺境内だけでなく、周囲の町、寺社、山、川なども描きこまれます。善光寺なのになぜ周囲も含まれるのでしょうか? 現代の感覚では不自然に思われるかもしれません。でも昔の人々は、善光寺の周囲の暮らしや自然の営みも、善光寺の一部として、一体のものととらえていたはずです。この感覚を、絵解き図を通して多くの方に取り戻してほしいと願っています。(小林竜太郎)